プラハ・1989年の出来事ゆかりの場所巡り

プラハ・1989年の出来事ゆかりの場所巡り

30年以上前、当時のチェコスロヴァキアで共産政権が崩壊しました。そのとき歴史はどこを歩んだのでしょうか。

プラハ・1989年の出来事ゆかりの場所巡り
今年11月には、プラハ市街で学生グループが平和的デモ行進を行ったあの日から33年目を迎えます。デモ隊は警官隊の力による介入で解散させられますが、これを発端として、やがて政治体制を揺るがす歴史的事件へと発展していきました。一部の反体制活動家だけではなく、国民の大半が参加する大規模なデモが開始されたのです。その結果、全体主義体制が崩壊し、チェコスロヴァキアは41年ぶりに独立民主主義国家としての復活を果たしました。ここでは後にビロード革命と名付けられたこの11月の一連の出来事に、緊密に結びついたプラハ市内のスポットをご案内いたしましょう。

アルベルトフ - ここで全てが始まった… 

第二次大戦中、ナチスの占領下でチェコの大学が閉鎖される事件がありましたが、この日、その50周年を記念して組織された平和的な学生集会が、やがて政治体制の変革を求めるデモへと発展していきました。学生たちは自由選挙、そして一党独裁の終わりを声高に要求しつつ、アルベルトフからプラハ中心部へと向かっていきました。アルベルトフは、ヴィシェフラドの近くにある学生街です。ここにはプラハ市内の大学の学部が集中しており、また小規模ながら大学付属の植物園もあります。

ナーロドニー通り - 警官隊と衝突した場所 

ナーロドニー通りは、プラハの中心にある大通りで、ヴルタヴァ川に架かるレギー橋まで続いています。ここには国立劇場のほか、プラハ最古の喫茶店に数えられるカフェ・ルーブルもあります。19891117、この通りで、アルベルトフから進んできた平和的な学生デモ隊に対して、警官隊が力を行使して介入しました。警察の特殊治安部隊が必要以上に攻撃的であったこと、そして多数の学生を逮捕したことが、国全体の批判を呼び、人々の政治体制に対する不満が一気に表面化しました。ナーロドニー通りのほぼ中央、カニュカ宮殿の外壁には1117日の事件の記念碑がみられますが、ここには毎年何百もの人々、そして国を代表する政治家などが花を供え、蝋燭に火を灯すためにここを訪れています。

ヴァーツラフ広場 - デモの中心地 

ヴァーツラフ広場を知らないチェコ人はまずないでしょう。俗に「ヴァーツラヴァーク」と呼ばれるこの広大な広場は、かつて馬の市場として使用されていましたが、今日は全く異なる機能を果たしています。ここは象徴的な意味を持つ場所です。ヴァーツラフ広場を端から端まで、つまり国立博物館から、地下鉄ムーステック駅まで人で埋め尽くすことは、デモを組織する者であれば誰でも夢見る最大の目標とされています。広場の上手に立つ聖ヴァーツラフの騎馬像の下では、1918年10月にチェコスロヴァキア共和国の独立が宣言されました。また1939年にはここでナチスの占領反対のデモ、そして1968年8月にはワルシャワ条約機構軍の侵攻反対のデモも行われました。その1年後にはソ連の占領に対する抗議の印として、ここでヤン・パラフが焼身自殺をしています。そして1989年11月末には再びこの場所に何万人もの人々が集まり、その不満、そして自由への願望を声に出して求めたのです。広場に面したメラントリフ宮殿のバルコニーからは、後に大統領に就任するヴァーツラフ・ハヴェルをはじめとする歴史を動かした人々が、11月、12月を通して演説を行いました。

レトナー - 広場が狭すぎるとき 

但し11月最大のデモの会場となったのは、広場ではありませんでした。町の広場では狭すぎたのです。最大のデモは、プラハを見下ろす広大な高台、サッカー・チーム「スパルタ」のスタジアム、国立技術博物館、そして国立農業博物館の近くに広がる空間で行われました。雨模様で凍るような寒さの中、1989年11月25、26日の週末にここで開かれた集会にはチェコスロヴァキア全土から100万人以上の人々が結集し、自由選挙の要求は単に数人のプラハの学生が思いついたものではなく、社会大半の一致した意見なのだということを身をもって表したのです。

プラハ城 - 大統領府 

共産党の全体主義から民主主義への移行は、1989年12月に反体制活動家で作家のヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に選ばれたことでクライマックスを迎えます。裕福なプラハの家庭に生まれたハヴェルは、すでに何度も共産政権下で投獄を経験していました。当時の反政府勢力の指導者的存在にあったハヴェルを、議会は満場一致で大統領に選出しますが、その投票が行われたのが、プラハ城内のヴラジスラフ・ホールでした。ハヴェル大統領誕生を機に、ストライキや大規模なデモが全て中止、撤回され、1ヵ月以上続いた波乱の時期を経て、社会は次第に平静を取り戻し、具体的な民主制度への移行が開始されました。その後最初の自由選挙が実現したのは、1990年6月のことでした。



最後に:社会の鼓舞には、プラハ城で育った13世紀のプシェミシュル朝の王女、チェコの聖アネシュカの列聖も大いに貢献しました。最初のデモの数日前、19891112に、当時の法王ヤン・パウロ二世がローマでアネシュカの列聖を行いましたが、このことが信仰の有無に関わらず反体制派の強い支えとなり、チェコの人々に自由なヨーロッパへの扉を開くことになったのです。列聖への感謝を示す礼拝は、1989年11月25日に聖ヴィート大聖堂で行われました。