ロウチェニュ城

ロウチェニュ城

天然の迷宮の独特の雰囲気~ロウチェニュ城

いちど天然の迷宮に入り込んで外界から身を隠してみてください。 プラハ近郊に位置するロウチェニュ城の歴史ある英国庭園の中にヨーロッパ有数の珍しい名所があります。この地には形状の異なる10の庭園迷路があり、遊ぶだけでなく、くつろいだり瞑想するのにも格好の場所です。19世紀には、このバロック様式の敷地にはさまざまな客人が集まりました。才能に恵まれた画家マリー・フォン・ホーエンローエ侯爵夫人が城主であった時代には、詩人のライナー・マリア・リルケやチェコの作曲家ベドジフ・スメタナが彼女のもとを訪れていました。かつてスメタナの音楽が響いたこの場所にお立ちになり、往事の雰囲気に思いをめぐらしてみてください。

お城の歴史

ロウチェニュ城は中央ボヘミア地方に位置するプラハから北東に30キロほど行ったところにあります。ロウチェニュ城はお城にしては珍しく一年中開放されているので、季節に関わらず訪れることができます。そしてこの城は、チェコで唯一、19世紀から20世紀にかけてここに住んでいた貴族トゥルン・タクシス家についての歴史を教えてくれる場所です。展示では、一家に関してだけでなく、彼らが行っていたビジネスに関しても学ぶことができます。彼らは主に、イタリアや中央ヨーロッパにおける交通郵便などの業務を行なっていました。

ロウチェニュ城は中世の要塞の上に建てられました。周囲の村は、17世紀、三十年戦争の際に兵士たちによって略奪されてしまいました。もともとロウチェニュにある中世の要塞は老朽化してしまったので、18世紀初頭に所有者はバロック調の城に作り替えました。教会は城の横に建てられ、のちに聖母マリア大聖堂として再建されました。1809年に、マクシミリアン・トゥルン・タクシス王子がこの城を手に入れ、1813年にはトゥルン・タクシス家はオーストラリア皇帝・フランシス1世とロシア皇帝・アレクサンダーを招待しました。しかしながら、第二次世界大戦の終わりに城はソビエト連邦の兵士たちによる略奪に遭い、貴重な家具の多くは失われてしまったのです。そしてチェコスロバキアの共産党政権が城に専門学校を設立しようとして、さらに城は被害を受けてしまいました。修復に長い時間を要し、ついに2007年に城の開放を再開することができました。

独創的なツアー

ロウチェニュ城では、一年を通してテーマごとにツアーが企画され、それに沿ったプログラムが開催されています。みなさんはかつて彼らがなにを食べ、どのようにクリスマスを祝っていたかご存知ですか?給仕人の能力や責任はどのくらいだったのでしょうか?周りの村の城に対する印象、あるいはボヘミア地方でもっとも古いサッカーチームは?なぜタクシーは「タクシー」と呼ばれているの?ツアーに参加すればきっと答えが得られるはずです。

ツアーを終えたら、城の公園にある迷路をお見逃しなく。迷路で迷子になる方法は11もあるので気をつけてください。城の近辺には宿泊施設も充実しています。2003年創業のマクシミリアン・シャトー・ホテルは、1834年にトゥルン・タクシス家によって使用人の宿泊などのためのオフィスハウスとして城のバロック調のテラスの下に建てられたものです。